重慶生活いろは

日本と重慶~租界・重慶爆撃・JICA

日本と重慶の関係は日本が明治維新、中国が清の時代に始まります。明治維新で西洋化に成功した日本はアジアの覇権をめぐって中国と対立、日清戦争・日中戦争と二度の戦争を引き起こします。その後、平成になると中国の改革開放を受けた国際協力事業で再度日本が重慶に戻って来ます。

日本租界

租界と言えば上海や広州、日本租界では天津が有名ですが重慶にも列強の租界が1箇所だけ設けられていました。それが大日本帝国重慶租界です。重慶を開港させたのは英国ですが租界を置いたのは日本だけでした。

日清戦争・下関条約

日清戦争に勝利した日本は下関条約により英国に続き重慶を開港させます。領事館に続き日本は重慶初となる租界の開設も同意させますが城内に外国人を入れたくない清側と交渉が難航。結局長江を挟んで対岸の王家沱に開設されました。

王家沱日本俱楽部

:地下鉄環状線『弾子石』徒歩20分。

王家沱日本俱乐部

:武警医院内のため見学不可!

:こちらも参考に→重慶唯一の租界・日本租界

重慶爆撃

重慶爆撃

「中国など三か月で攻略できる」と豪語し武漢までは快進撃を続けていた日本軍ですが、蒋介石が更に西へと逃げ 重慶を臨時首都として抵抗を続けたため足踏み状態となります。三峡及び四方を険しい山に囲まれた四川に逃げ込まれた日本軍は陸軍による進駐を断念。1938年2月から1943年8月まで陸軍及び海軍は重慶を爆撃します。

当初は空港など軍事施設のみへの爆撃でしたが蒋介石の戦意を削ぐため無差別の蹂躙爆撃に切り替えました。1937年ドイツによるゲルニカ爆撃に続く戦略市街地爆撃であり、その後の原爆投下の正当性の根拠にもされたのが重慶爆撃です。

:重慶爆撃含む日本の重慶作戦はこちらに詳しく書いています→日中戦争における対重慶作戦

臨時首都から永久副都へ

市街地爆撃に踏み切った日本に対し蒋介石国民党は断固抗戦を続けます。

中華民国行政院直轄市

1939年5月3日・4日と重点的に重慶城内を爆撃、重慶側死者3991名を出します。これに対し蒋介石は翌5日重慶を行政院直轄市に昇格させました。

中華民国永久副都

1940年に入ると一向に降伏しない蒋介石国民党に対し大日本帝国は陸海軍合同による101作戦を実施。5月~9月までの112日間で72回爆撃します。これに対し蒋介石は9月6日重慶を中華民国永久副都に昇格させ対抗。前年の爆撃では重慶を直轄市に昇格させて対抗、この年の爆撃には永久副都に昇格させて徹底抗戦を呼びかけました。

:重慶臨時首都についてはこちらに詳しく書いています→日中戦争時の重慶(重慶国民政府)

日本敗戦へ

太平洋戦争勃発により重慶・四川に対する爆撃は1943年に終了します。1944年になると逆に日本が市街地爆撃を受けるようになり、6月成都基地を飛び立った米軍B-29が北九州八幡製鉄所を爆撃したのを皮切りに本土空爆が始まります。

8月15日終戦記念日

大日本帝国は1945年8月14日ポツダム宣言受諾を連合国に通知。日本では翌8月15日の玉音放送を以って終戦としています。

玉音放送

“朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ”
~省略~
“曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ”

米英中ソに対し共同宣言受諾となっています。しかし、その後中ソについて触れられることはありません。米英に国に宣戦。交戦既に4年。。。日中戦争完全に無視ですね。日本人が中国に負けたと思っていないのはこの辺りにも原因があるのかもしれません。

出典:国立公文書館

9月3日戦勝記念日

日本では8月15日を終戦記念日としていますが、我々にとって重要な玉音放送も言ってみれば国内放送。国際的には9月2日の米海軍ミズーリ号での日本による降伏文書への署名により終結したとされています。また9月9日には大日本帝国陸軍支那派遣軍が南京で中華民国国民党軍に対し降伏調印をしています。

戦勝国の戦勝記念日
9月2日米国・英国・ロシア・フランス
9月3日中国・中華民国・旧ソ連
重慶爆撃惨案遺址

:地下鉄1号線・2号線『较场口』駅徒歩1分。得意世界の一部

重庆大轰炸惨案遗址

:無料

1941年6月5日、日本軍の空爆により市民が一気に防空壕に押し寄せたため防空壕管理者は混乱を防ぐため防空壕に鍵を掛けてしまいます。5000人収容とされていた防空壕に数万人が入ったため地下防空壕内部では酸欠となります。ところが管理者は外が空爆により火事となっていたため鍵を開けません。そのため多数の市民が窒息死したとされます。

防空壕の外から鍵を掛けられるとは恐怖ですね。当時の中国当局の市民の扱い方が垣間見えます。原因はもちろん日本の空爆ですが窒息死したのは人的ミスでしょう。

国際協力機構・JICA

2005年中国初のモノレールが日本政府による円借款、及び日立の技術移転により開通します。重慶軌道(モノレール)2号線・3号線は大阪モノレールの車両・技術が導入されています。

重慶軌道
軌道建設者碑

:地下鉄2号線『佛图关』駅徒歩1分。駅出て右手の壁沿い

仏図関

:無料

まとめ

歴史的事実は以上の通りです。しかし日本産アニメを見て育った若者も多く若い世代に限っては特に反日という事はないと思います。観光面で日本人だからという理由で石を投げられたり騙されたりすることはありません。