今では高層ビルの立ち並ぶ商業都市に変貌した重慶ですが、鄧小平の改革開放以前は『工業は重慶に学べ』というスローガンがあったほどの工業都市でした。しかし改革開放により上海・広州などの沿岸部に資本が集中し重慶の工業は旧世代の物となってしまいました。
そんな重慶には放置されたままの工場跡、放置までは行かないけど一部しか稼働してない工場などレトロな工場が多く存在します。
中国含めロシアやアメリカなど大陸は土地があるから移転の際は放置することが多いよ!例えばデトロイトとか。
。。。。
奥克実業(集団)有限公司
ここは一部ですが現役で稼働しており守衛がいるため、入場許可を貰います。とはいえ名前とパスポート番号書くだけです。
黄桷坪正街という落書き通りを歩いて四川美術学院を通り過ぎると501艺术基地というのが左手に見えてきます。その基地の背後にそびえたつ煙突が目的地の工場です。
工場のエントランス横にはかつての従業員宿舎が廃墟となったままです。
煙突の下まで来ました。煙突には『1984』と書かれています。一瞬ジョージウォーウェルが頭に浮かびましたが操業開始が1984年なのでしょう。
この会社は混和剤を作っていた会社です。
ブルドーザー。正面から見るとかっこいいです。
このデザイン!これが一番の見どころでしょう。
行き方
2号線『杨家坪』下車、バス823・223路で『五龙庙』下車徒歩10分
百度以外の地図でも見ましたが近くに何もないためリンクが張れないのでご自身で地図で確認してください。
重慶特殊鋼公司
鉄金属(黑色金属)を扱っており国民政府時代は兵工署でした。今回は紹介しませんが抗日戦争時臨時首都であった重慶には中国各地から移転してきた多くの兵器工場がありました。ここは既に廃墟となっていますが一部稼働しています。
工場入り口です。このスローガン『团结 自强 务实 创新』のフォントが良いですね。
事務所として使われていた南棟ですがレンガでがっちり入り口が封鎖されています。
南棟の部屋割りの案内です。
こちらは従業員用の住宅。一般的に中国の工場は敷地内に従業員の社宅が完備されています。ここ重慶特殊鋼公司は最盛期1万人の従業員、家族を含めると3万人が暮らしていたため敷地内に学校・病院などもありました。
一部現役で使用されています。
程よい廃墟感がたまりません。
時が止まったままのような空間。
最大の見どころはこちらでしょう。残念ながら既に中の機器は取り外されていますが往時を偲ばせられます。
行き方
地下鉄1号線『双碑』下車、徒歩15分。こちらもリンク張れないためご自身で確認下さい。
名称不明の工場跡
完全に廃墟のため元の工場が不明なのがこちらです。工場の壁はどこに行ってしまったのでしょうか。
内部の部屋には機器の操縦室らしき跡があります。
夜中一人で取り残されたら絶対ちびるレベルの廃墟。。。
行き方
一号線『石井坡』徒歩5分。融创滨江壹号のすぐ横です。
磁器口まで来たらすぐ隣、徒歩20分くらいなので足を延ばすのもありです。千年古鎮の磁器口よりも古く感じる築50年くらいの建物が観れます。磁器口の記事はこちら→重慶の古鎮・磁器口
まとめ
通常このような工場跡地を観ようと思ったら郊外の田舎に行かなければならず、田舎は飯が不味い・宿が極度にぼろい(特にトイレ周り)という問題が発生しますが、重慶は大都会なのでサクッと観に行けるのがポイント高いです。30分も地下鉄に乗ればあっという間に近代的な街に戻って来れます。
郊外まで行く余裕がある場合は三線建設の象徴である建設途中で放棄された核施設なども面白いです。
ちょっと変わった観光にも対応できる街・重慶
重慶はそんなに土地ないぞ